ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの出生地について

現在、ヒルデガルトの巡礼の道についての本を読んでいるのですが、そこにヒルデガルトの出身地について述べている箇所があったので、ご紹介します。


"神聖ローマ帝国、アンリ4世の時代、ガリア地方に一人の修道女が住んでいた;家柄の高さと神聖さで有名である彼女は、父ヒルデベルト、母メヒティルドの娘で、ヒルデガルトという名前であった。" -Vita Sanctae Hildegardis(聖ヒルデガルトの生涯)より


ヒルデガルトの伝記「Vita Sanctae Hildegardis」から、彼女は貴族の家系であること、故郷はライン川西岸のガリア地方であることがわかります。ヒルデガルトの具体的な出生地についての記述は、それをボッケルハイム城と記したスポンハイムのトリテミウス(1462-1516)のものが最も古いです。シスター マリアンナ・シュレイダーは、アルツァイ近くの村ベルマースハイムであるとし、ヨーゼフ・ハインツェルマンは最近の研究で、ヒルデガルトがニーダーホーゼンバッハで生まれたのではないかと述べています。これは父ヒルデベルトがバーメルスハイムとニーダーホーゼンバッハの領主であり、古い貴族の家系であったと推測されるからです。ヒルデガルトが8歳の時に預けられた、スポンハイムのユッタと縁戚関係であったのかどうかは、まだはっきりとは分かっていません。いずれにせよ、一家はマナーハウスに住み、おそらくは無給の召使がおり、周囲の借地権から10分の1税を得ていました。彼女の伝記によると、彼女は10人の子供(ドルトウィン、ロルクス、イルムガルト、ユッタ、オディラ、クレメンティアの名がある)の10番目で、当時としては可能な限りの世話をしてもらいながら育ったようです。生涯を通じて、彼女の高貴な家柄は彼女が持っていた独特の階級意識の拠り所であり、それによって彼女が成すべき務めを達成するための重要な必要条件が築かれました。 「The Hildegard of Bingen Pilgrimage Book」より

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